ああぁ、普段僕が言っている事と全く同じ言葉が並んでいて、安心しました。
ビリギャルは、僕が人生で初めて2回映画館で観た映画でした。
「●●勉強法!」や「究極の勉強法」「これさえやれば!」的な勉強法を
おっしゃられないのが好きなんだとわかりました。
様々な勉強法の本や、「究極の勉強法!」などを見ると、
どうしても納得できなかったんです。
それって、一部の生徒には効果的な方法かもしれないけど、
絶対唯一の!とかないし。。。。。と僕は思っている派です。
【以下抜粋】
「それでは、効率的な勉強とは何なのか。いきなり水を差してしまい、とても心苦しいのですが、正直に言います。残念ながら、そんな方法はありません」
(村山)
ほっとしました。。。ちょっと読み進めながらドキドキしてしまいました。
坪田先生が、「効率的な方法はこれだ !」とか言い出したら、どうしようかと思いました。
そして、
「全員に共通する効率のいい方法を探しているから、答えがないのだと」
「成績を上げるための最短のアプローチも一人ひとり異なって当然ではないでしょうか」
ともおっしゃられています。
教育論は、様々論じられています。
その全てが僕は正しいと思っています(相当ポンコツな理論でない限り)。
というより、
その人がやれば「成功する勉強法」があり、カリスマ教師Aが、「こうだ!」と言って、本気で指導して、結果を出していたら、それは、「その先生だったら、多くの人の成績が上がる」というようなことが
ありえます。
それは否定しないんですが、
一方で、どんな凄い理論だろうが、「僕には合わない」「(結果の出ている指導法でも)指導者Bだと結果が出ない」
という事も往々にしてあり得るのが教育の世界だと感じています。
結果、僕は「出世する方法や、お金持ちになる方法を学ぶのと一緒で、結果の出し方が一人一人違う」
と思っています。
そして坪田先生は、「なぜ勉強するのか」について、本書でこうも言っています。
【以下抜粋】
僕は究極「個人の成長」だと思っています。
成長とは、「できなかったことが、できるようになること」です。
でた。
村山の大好きな、「できなかったことを、できるようにする」です。
みんな勉強しているのですが、この意識があるかないかで、結果に雲泥の差が出ます。
(本当に)勉強しているかどうか、心の中や頭の中を覗き見ることはできません。
しかし、「できなかった事をできるようにしてやろう」「できるようになることが楽しい」
「賢くなっていくことにワクワクする」心を持つ(持てなかったとしても、「持とうと思う」事が大切です)。
嫌々やらない。
同じやるんなら楽しく、もしくはその時精一杯頑張るだけで結果は全く変わってくると僕は思っています。
いえ本来、人はみんな、
できなかったことが、できるようになるとワクワク、更にやりたいになると思っていますし、
そう思わない事は「向いていない」のだと思います。
義務教育の間は、それでも「全部できる事」を目指して全体的な能力を上げる必要もあるのかもしれませんが、
世の中に出たら、「生きていくために、個として自分の強みで生きていくこと」を要求され、学生時代に
皆と一緒と育ってきた人が苦労するようにできています。
自分がワクワクする「できなかったことが、できるようになる」事を探す方が、
ずっと大切なことだと思います。
僕は、「できなかったことが、できるようになった時の子供たちの笑顔が忘れられなくて、塾の先生をしています」
坪田先生の新書お勧めです!是非読んでみてください。