中学校に通う長男が学校からもらってきたようです。
(村山)「お!これいいやん。やってみよう」
(長男)「俺やるんやったら、ゲームのプログラムしかせーへんで」
できれば、将来のためにwebやソフト・アプリのプログラミングへ進んでもらいたいんですが。。。。
まずは、興味を持ってくれたら良いなと思い参加させようと考えています。
学志館の塾でも「プログラミング」の教材や塾用プログラミングシステムなどを見るのですが、さまざまな説明会やセミナーに行ってもしっくりきません。
塾が行うプログラム講座であるならば、その意味がはっきりとしていなければ、(単なる遊びのようなものなら)やる意味がないと思っていますし、
本格的なプログラムを習うのであれば、
大阪などへ行き全国規模で行なっているプログラミング教室に通うべきかな?と僕は考えており、自塾でのプログラミング講座の導入を見送っています(本当に「これ良い!」というものに出会えたら、僕のことなのでやると思います)。
これからは、コンピュータを使う側、システムを組む側の人でないとダメなのかな?と思っています。
10年後になくなる職業に出ている職種は、ほとんど全てコンピュータやタブレット、携帯上で販売や契約など人が直接かかわらなくとも済む仕事です。
我が家の子供達が、将来どんな仕事についているのか全くわかりませんが、自塾でパソコンやネット環境に問題が起きるとまず、若くてパソコンのスキルの高い先生が呼び出されます。そこでほとんどのことが解決され、「パソコンのスキルが高い子って、仕事できる!」とおっさんである僕は思っています。
芸は身を助くと言いますが、
学生時代に学ぶべき将来のために必要なスキルとして、村山家では「英語」「プログラミング」を重視しています。世界中のどこででも仕事ができる。会社に出社しなくても仕事ができる、
そんな時代が来ていなければ、未来の仕事も今の延長線上にある仕事なので普通に学校へ行っていれば働けるかな?と考えており、僕が考える未来でバリバリ仕事をしている人の姿は、
「日本にこだわらず世界中で仕事をしている(仕事可能である)」「(もちろん大きな会社に面倒を見てもらえていれば良いですが、そうでなかったとしても)会社に縛られず仕事ができている」という予想です。そのためには、一芸を持つ必要があるかな?と考えています。
2020年の大学入試改革の説明の際、ものすごく壮大な話を聞きました。
「今後過去問題の意味がなくなる」
耳を疑いました。過去問題が意味をなさなくなれば、塾としての指導がとんでもなく難しくなります。どういうシステムで入試が行われるの?と思い聞いていると、
どうやら、コンピュータ上でテストを受けることになり、そこで解いた問題の正解不正解がその場で判断され、
その子のレベルによって、その後の出題が変化し、最終的なその生徒のレベル、合否が決定する=みんなが同じテストを受けるわけではない。。。。。
とのことでした。
こりゃあかん。
これだと、その大学の過去問題という5年10年分(塾の先生や予備校の先生だと20年分とか過去問研究して対策を練ります)の学習をする意味がなくなります。(もちろん過去問題や傾向と対策などという小手先の勉強をやめて、本当の実力をつければ全く問題はありませんが、現在通用している過去問題による対策などは意味がなくなるということです。本当の実力を問うようなテスト形式にシステム自体を変えようということです)
これって、プログラミングによるシステムじゃないか。。。
こんなシステムを作る側の人間になってもらいたい。僕はそう思っています。
そして、こうしたコンピュータが得意なことは、どんどんロボットがやる時代になるということです。
であるなら、
ロボット(コンピュータ)にできない仕事か、コンピュターを使う側、システムを組む側の人間でないと、本当に力仕事ぐらいしか残っていないのではないかと怖くなります(すみません。力仕事が悪いわけではありません。しかし40歳や50歳で力仕事は厳しいと判断します。)
(僕が苦手な)コンピュータ関係に強い!子供達に育って欲しいなと思っています。